2017年09月23日

織田作之助の「夫婦善哉」について

柳吉は種吉にスイカの切り方を教わるのであるが、「切り身で釣って、丸口で儲けるんや」
などの種吉のセリフはプロの言葉であり、堂に入っている。
蝶子は、かばんのような財布を首から吊るして、売り上げを入れたり、つり銭を出したりする。
かばんのような財布と言う表現が面白い。思わず笑ってしまった。

リンゴをよく布巾でふくこと、水蜜桃は手を触れぬこと、果物は埃を嫌うからはたき
をかけること。種吉の言葉には不自然さがない。
果物屋の経験がない作者であるが、読者は安心してついていけるのである。
この辺の叙述は非常に上手である。危なげがない。
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posted by 文学の星 at 21:40| Comment(0) | 日記

2017年09月16日

織田作之助の「夫婦善哉」について

剃刀屋をやるがうまくいかない、今度は関東煮をやるが、商売に飽きた柳吉は200円を持ち出して
遊興に使ってしまう。体力の限界を知った蝶子は店を閉めてしまう。
それでも懲りずに果物屋を開店する。これもやがて失敗する。
人生は火宅である。人生の無常をここでは痛く感じる。成功するのは簡単ではない。
やすやすと成功の階段を上っていく人もいるだろうが、多くの人はそうではない。

織田作之助はここでは火宅の人生と無常というものを伝えかったのであろう。
生活するとは大変である。必死なのだが成功できない、、それが庶民の姿である。
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2017年09月05日

織田作之助の夫婦善哉について

ひょこひょこ歩いて来る柳吉の顔が見えた。行燈の明かりに顔が映える,眩しそうに
目をしょぼつかせていた。

ひょこひょこ歩いて来るなどという表現がいかにも侘しい。優等生ではない。
劣等生の侘しさというか、漫画的なおかしさがあるのだが、、そこに生きていく
辛さがある。
目をしょぼつかせるなどと言う表現もそうである。
成功者は眼をしょぼつかせたりはしないだろう。生きていく辛さを痛く強く感じるのである。

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